議事録 minutes

 

PRC編集者の見解


ここは 画家足立本人ではなく 

PRC編集者自身の見解のみで

読み解くポポトピア裏解説ページです。

 

足立画伯に質問し できるだけその無意識を文章化するための作業
大元は絵画に音楽をつけるために 尋ねた質問で、それをまとめて
いくうちに物語の骨組みも見えてきて 
このポポトピア リサーチ コミッティが始動した。

 
答えがまず絵にあると読み そのイメージの根幹を予測し 
画伯にぶつけて答えを見つけていく作業で この膨大な作業に
うっかり足を踏み込んでしまった。

 

そもそもな美や芸術を理解してる者など神にもいないのは
明白な世界の事実で高等な表現技術から 原始人の洞窟の
落書きまで 古い年代ほどな値がついてる
一般人はその誰かが着けた値で見方をコロコロ変えたり 

アート業界では表現スタイルの道も違う先人を
ふんわり絶対的に奉る傾向がある。

 

例えるなら板金塗装業の若い腕の立つにいちゃんに 
豆腐屋のおやじが 頭が高い!私を誰だと思ってるんだ?と 
息巻いてるようなアートの世界

全てがナンセンスだと気づくのは この先何千年後になる事だろう?


 

 

 

ポポトピアとは?

 

初めて 足立画伯の絵を見た時 頭に浮かんだのは

これはイコンかな?だった

 

イコンという 崇拝するのに小さな箱に押し込めたいという
願望の表れの表現方法、額装絵の考え方がある。
本来 広大な世界をつかさどる神であるはず肖像や像を 
像だけでなく絵なのに箱に押し込むかのような心持で描かれた代物

 

神が強力だけど邪悪な力を持っていると感じるのであれば

トラをとらえる檻のような感じであるのも理解できるが
人間の特性として捕らえて見世物にするという所業の気配が
イコンにはある。

 

多くの人は 神を閉じ込めてという意識はないにせよ

信仰の裸火をランタンのように持ち歩くときに
消さぬようの小道具くらいのつもりだったりするのであろうが
なんにせよ人類はその神の存在を 目でみえてないと 
見守ってもらってないで
泣き叫ぶ幼児と変わらぬ精神構造をもってる。

 

その点 偶像を持たない信仰のほうが精神年齢は高いはずなのに
その像を持たないゆえに理想ばかり高くなり その理想の世界があるから
争いが絶えないという状況も招いてる。

 

つまり なぜドロップ缶なのか?という表現は 
ちいさな世界に押し込められ封印された神に 
本能的な畏れ 敬いを表してる。
しかし 封は開いてる。

 

例えるなら ライオンの檻で 中のライオンが首か
鍵をぶら下げてるようなそういう表し方

 

それが ドロップ缶の中の小さな神の世界 というくだりであろう。

 

意識 無意識とあれど 描くうえで深層心理が働き、
描いてる当人も気づかぬ間というものが 
いちいち絵には現れるものである。

 

それと特筆すべき点は 足立絵画に描かれてる子達は
閉じ込められていない。

普通多くの絵描きは額装をふまえた余白をとり、バランスをとるものだが
ポポトピアの描かれた住人たちは わりとぎりぎりめいいっぱいに
描かれてる

絵画として考えると 完全に画角からはみ出てるのだ

この点が絵としてモチーフを抑え込むという暴力をふるっていない

 

何物も自由だよ☆彡の 精神が絵からにじみ出てる所でもある

そこに足立絵画のあどけなくも絵を楽しんでる様相がうかがえる所

 



例えばこの作品 完全に画角に収める事を微塵も考えていない。
しかも広い大作なのに はみだしてる
半円円弧を収めきって虹を描いた満足を得るものだが、
この見きれても
気にしない入れ方と 時計になってる車輪も見きれてる。
後付けの可能性も
考えられるがそこに躊躇がないので おそらく最初から
決まってたのであろう。
コーヒーを淹れる移動カフェといい 家にタイヤがつきものと
いう感覚も見受けられる、神事の山車車が源流かな?

ねこが高い所をかけてるのか遠くなのかは定かでは無いが
クジャク石のような背景マチエールに この空間の色温度が
古い家屋の色をにおわせてるので おそらく祖母の家であろう、

イラストとアートの違いを説明するとき その描く精神性の土台が
どこにあるか?と良く説いてるのだが たとえばドラクロワの
民衆を導く自由の女神
 イラスト的思考であれば 手にもった旗を
全部入れきるとともに 右側の空間をもう2割広げるだろう。
画に関して 野性味あふれてる勢いがあるかどうかが
絵画のメッセージ性につながるものだとおもう

だがアイススイカバー美味いよという緩いメッセージ

物語の本題

たかだか数百年生きた 若い蛇の魔物が
神とも魔物ともどっちつかずのまま
その持てる能力を使い引きこもりを決め込んでた 
その空間をポポトピアと呼び。

自堕落な生活を送っていたところに 
奔放な複数の神子達が飛び込んで来て

占拠されてしまった空間が お話のざっくりとした出だし。

 

足立絵画には 幼少時から虹が描かれてる。

太陽を描けば逆光の風景 虹ならば順光の風景である。

多くの人は夕日に向き 逆光の世界を美しいとか感動とか
言い出すのだが、逆光の世界において多くのものが影で塗りつぶされる
光景を綺麗といいはる感性が本当にものを見る事に気づいてるのか
疑問がおおいが、 虹を見るものは 夕日や朝日を背に対象を
見据えてるといっても過言ではない

その意識が足立自身にどれほどあるのか? 
思い描く風景は早朝なのか午後が多いのか?

まだ会話でそこらを突き詰めて尋ねた事はないが

 

虹がなんの心を隠喩してるのか分析は少し難しい。

 

世界の文献で虹に対してのイメージに蛇が絡む話は多々ある。


多くの女性画家が蛇を扱う場合、フロイト的な男性器と結び付けたがるものだが

虹は円の一部であることからして このポポトピアのヘビは 
なんでも欲求不満に結びつける フロイトのそれではなく

ウロボロスのヘビの意味が多く含まれてる。 自分の尾を飲み込む輪になった蛇

終りのない世界

 

そうだけどもポポトピアバイブルで 永遠であることにも先輩後輩があってという
なににおいても 絶対的にも新人と怖い先輩がいると 表してる所に

所詮終りではなく 早く始めた者 早く動き出した者が優位であるという

教えが ポポトピアバイブルの根幹の一つにある。

 

古代後期 アレクサンドリア、ヘレニズム文化の時点でも世界創造の思想を

輪になった蛇を象徴にイメージした。

ポポトピアというユートピア、それが人のイメージするユートピアとしてどれほどの
重きや幸福のイメージなのか その思想はまだ読み切れてはいないけども

 

人類の文化や イメージする象徴として ヘビがいるのは人類共通のなにかがある。

アダムとイブがリンゴを食べるとき 注意したヘビの親切にして なんか弱弱しく

無碍にされるスルーされる立ち位置も虹神と同じ立ち位置。

 

 

 

足立絵画のテーマに ユートピア ドリーム この二文字が

岡本太郎の「ば ばくはつだ!」 ばりに 繰り返し出てくる言葉

それが何をどこまで含んだ 理想郷なのか夢の世界なのか

そのタイトルがついた絵を 全部並べて見て、そこにある共通項を分析もした。

この二つの言葉が意味する風景はベクトルが わりと真逆。

言葉のイメージ的には ふんわりとした優しい世界だけども

 

理想郷とは花が咲き暖かい陽射しがあって広範囲に綺麗な物しかない
ドリームは 夜 多くのものが暗闇で見えず、一点だけ見つめてるような光景

ここを結びつけるものは 見えていない部分がどこにでもあり
どんな理想の世界でも不安はあり、描くことは目をつぶる事でもあり
見つめなおす事でもある。

そういった所業かなと 理解しつつも画伯には

 

「タイトル似過寄り過ぎてて その言葉もう禁止でお願い!」と進言した。

 

 

足立絵画の夜はなめらかに単色で塗りつぶされた夜空ではなく 
粒あんのようなむにゃむにゃした 甘味のある夜空なので 餡子夜(あんこや)
と呼ぼうと提案した

 

ポポトピア缶をどこに 転がすか?という相談で
身近な場所のほうが良いだろうと 場所は画伯のすむ岐阜に決定する。
イメージというファンタジー要素をいきなり現実に引き戻すかのような、

世間でファンタジーといえば それは誰も知れない森の奥で とか
まだ光と闇が混在し世界がまとまってなかった混沌の世界で とか

作者自身がまとまってないです暴露してるかのような 子供の言い訳みたいな

物語の出だしがあるが、そこに創造性はなく、ただもの知らぬだれかの誤魔化し口上を

真似しただけのものである。 なので ポポトピアは目の前にあろうと話し合い

足立画伯と取り決めた。 ファンタジーだけどファンタジーじゃない。

完全な空想のお花畑ではなく そこには夢とどうしょうもない現実の落胆も含んだお話だからだ。

その導入バイブルが ポポトピア新約聖書Ⅰ

 

さて 缶が転がってるのは 岐阜のどこかの庭先に決定し

で 大事なのはその中の広さ ただ広いではなく

どう広いか?を突き詰めるのが重要だと思った。

 

絵の舞台として 画伯が自由に描けるテーマを育てる花壇の整備

無茶ぶりで持ってきた苗を それぞれの習性を考えバランスよく植える
ガーデニング的作業だ。 

 

これまで十数年間分の過去作品を画像で見せてもらい、気になる点をいくつか質問し

絵とそこに込められた感情や気配を読み取り つっこみをいれ返ってきた返答で

さらに分析しよみとり それらの情報から 過去ポポトピアで動き回った歩数と

背景のバリエ-ション 神子達の様子から、今後 どれくらいの範囲の行動が

起こりうるか、それぞれの登場キャラの性質で導き出されるエピソードを

 

未来の話を過去の絵でもむすびつけてく

 

宇宙は溶けた鉄の塊だという科学者がいるように

多くの惑星で共通する成分の多くに 鉄がある。

鉄がいろいろな物質分子と絡み合い 多くの物質を生み出す。

 

人の血液も鉄分という所も宇宙の一端を担ってる事でもある。

となれば ポポトピアも鉄分多めでほぼ間違いはない。

固い材質であれば 背景だ建造物に強度も与えれて

舞台がしっかり整えやすくなる。

 

ドロップ缶ブリキ缶は 鉄と錫の合金。

そんな材質の中にある自然の光景はどうなるか?

それと生き物の最大限の材料は 炭素。

地中の多くの鉱物も炭素で出来てて、人間が掘り起こせる所で
貴重なダイヤモンドも 地中深くなるほどにレア度は低下していく。

 

人が決める価値とは 手にできるか出来ないかだけの問題で

地球だ宇宙だって範囲では その価値観も反転しうる

 

なぜ ポポトピアの奥が ツインギラスティになってるか?

足立画伯が おそらく無意識で選んだ 絵の題材モチーフの生き物の

生息地を調べると マガガスカル島が出てきた。

そのマダガスカルの中央部分に そういう地形の場所が実在する。

 

ポポトピアがマダガスカルとつながる穴がある節

つながってる穴を通じて 動植物や地形が似通るという話

 

 

多くの物語には 大きな志があり 越えなきゃいけない壁や山があり

達成感をもって 読む人の心に語り掛ける。

それは行動できない読者のための 人身御供的に困難を背負い

危険に触れることなく どこまでも完璧に安全に 喜びだけ共有させて

喜ばせるようなもの。

 

では悠久の年月を生きる神にとっての 困難や喜びを考えるとしたら

なにが理にかなって なにが夢を与えることになるかを考えて

 

すごくささいな小競り合いで 同等の力故のむずむずするやり取りを

描いて いかに なんともない日常で困難の多くもゴミのように
ささいで済むか?という 話しを多くしました。

 

大事件はさらっと 小さな事件は大袈裟に それがこの世界においての
物語xアート に重要な落としどころだと感じている

 

 

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ポポトピアの自然環境

 

 

------模様--------------------------------------------------------

 

ポポトピアの風景に模様が現れる、それは神子達の記憶が模様という空気をまとうから。
という説明なのだが、 最初模様のあるなしの絵を見比べて

模様が現れる条件を読み解こうとした。

単純によむならば 製作期間納期の都合で 時間が取れるときは

細かい模様を描きこんで行けるって事なのだが

 

単純な模様に含まれる 単純だけど細かくなりたい!という模様の心が

時々見え隠れする。 見た通りまんまの模様でいない水玉のあがき

というか 草間彌生化しねえぞ!という心構えというか

そんなひとつひとつを読み解き 画家が描く模様の点の一つまで

血が通ってる通ってない惰性 諦め 憤慨 顔がないゆえに

読み方の自由度と推察で楽しめる部分。


模様に有機的な存在感、大気である模様を羽に吸い取り
飛ぶ推進力に変えるかのよう

 

------川 沼 池 滝------------------------------------------

水の輪廻は命のそれと近い。

全く別の分子であるのに その行動や性質は同じである。

全ての水の分子には 同じ記憶が刷り込まれていて

見てるもの同じ 個であって個であらずな存在

しかし一滴一滴にも心があり 大河と流れるもそこに意思があり

しかし態勢に呑まれてどうにもできない

まさに命の輪廻があるとすれば その在り方は 川のようでもある。


------植物--------------------------------------------------------

 

植物にも生きる意志がある。より心地よい方向に根や葉を伸ばす。

スローモーな生物。

 

ポポトピアという時間の制約もくるった空間でどう育つか?

とかんがえれば ほぼ動物と同じ扱いで当然

 

 

------動物-------------------------------------------------------


猫や犬が多く出てきますが、猫の大変さも 柴犬の躾の難しさを知らない故の

表情を湛えています。知れば描けない 描きたくないと思える動物もいます。

ここのせめぎあいが 画家を何をもってして描くか?によって変わってきます。

味を知らずして 美味しい料理は出せないというシェフや

元気に走れないからこそ 自転車の気持ちよさを夢想する療養所の少年や

 

知ってる事がすべてでない光景にも ストレートな希望の光景が描ける。

いない犬を描く まだ生まれてもいない子に名前をつけるように慈しみ

イメージすることに 嘘じゃんという無粋な言葉では 広がる事もない。

 

生き物はおもちゃじゃないので ただ知るために飼うというものでもない。

 

きっかけはなんだってよいと思うが しょうがないかなと見てる。

 

鳩について、これをモチーフになんども出てくることに 最初すごく疑問であった。

すずめが可愛いというのなら わりとよくいるけども 鳩・・・・

きっとそこに 足立画伯の特異性があるとにらんでるのだけど

鳩についてなんどか 尋ねたが いまだによくわからない。

 

ワオキツネザル

 ツインギラスティのどこかに マダガスカルとつながってる穴があるってことで決着はついた。

 

虹金魚

 

ギキンペルルちゃんの手に持ってるものは?と質問し
足立画伯が神の言葉をおろし じつにふわっと 金魚玉と発した。

 

はて金魚玉とは何に通じ なんの意味があるものか いろいろ考え
いくつか仮説を返し、その全容が明らかになりつつ ギキンペルルの絵に
含まれたその描いてる時のイメージをどんどん言い当てていく。

 

その流れから

 

虹金魚(人に見えない)>金魚玉(真珠のような種)を吐く>
開花すると真っ赤な花が咲く、その花が落ち水底に沈んで
虹金魚になる

 


------昆虫--------------------------------------------------------

鱗翅目類(蝶、蛾)は 足立画伯のライフワーク的に取り込まれたモチーフテーマ

おそらく唯一 手にしやすいペットであったのであろう。 その手慣れた飼育技術を

SNSで拝見する限り、ここ最近のなじみではないと誰でもわかるであろう。

女性で幼少時に昆虫に慣れ親しむタイプの多くは 両親が虫や自然好きで

つれまわしてもらったという経験が土台の場合が多い。自然観察する目は自発的でないと

育めないが スタート地点は環境が大事

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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